皆様、こんにちわ!
季節の変わり目、体調など崩されていませんか?
緑が目に鮮やかなこの季節、お散歩に最適ですね♪
私は、一緒に暮らしている愛犬と、海辺で遊ぶのがお気に入りの今日この頃です。

さて、
【chocolat's Slow Life】第 四回目は、<浅草>に行ってみました。

《見て・食べて・楽しむ街 浅草》
 

ここ浅草は、古くから浅草寺の門前町として栄えていました。
徳川家康が、江戸を根拠地として大規模な城下町に改造していくと、
浅草もその一角を担うようになります。
天保の改革の下に行われた水野忠邦の芝居小屋撤去に対し、
北町奉行遠山金四郎は、浅草猿若町を一門前町に過ぎなかった浅草に移転させ、
後の一大繁華街となるきっかけになりました。

明治時代には東京市15区の一つ「浅草区」になり、
浅草寺を中心とした地域を明治時代に公園化し、東京初の都市公園である浅草公園となりました。
浅草公園を6つの区に分けたことから、浅草公園六区ともよばれましたが、
この言い方は、その中で一番にぎやかだった地域である第六区のみを指すとも言われています。

また、関東大震災後より、第二次世界大戦前までに、東武線及び地下鉄が乗り入れ、
1960年代まで東京庶民の歓楽街として賑わいましたが、
それ以降は衰退しつつあり、むしろ「下町らしさ」を主とした観光地としての側面の方が大きくなってきている街です。

浅草の玄関、雷門前の交差点にあるカラクリ時計です。
 

三社祭りの神輿を担いだ人形や、伝統の踊りを舞う人形たちが歓迎してくれます。
(午前10時から午後7時の時報まで)
この時計は平成2年4月10日完成したもので、
台東区に配布された”ふるさと創生資金”の一億円を活用して製作されたものだそうです。

さてまずは、浅草といえば、ここ雷門を思い出される方がほとんどではないでしょうか。

浅草寺の正面入口、最初の門は、平公雅によって浅草寺の総門として942年(天慶5)に建てられました。
数度の火災による焼失で、再建がなされましたが、
1635年(寛永12)徳川家光によって建てられた門は右に「風神」左に「雷神」を安置してあるところから、
正しくは「風雷神門」、略して雷門と呼ばれました。
1865年(慶応元)の火災に遭って以来、昭和35年に再建されるまで、
95年間のあいだ雷門は幻の存在だったことになります。
現在の雷門は鉄筋コンクリート製で、松下電器の松下幸之助氏の寄進で、昔の姿そのままに再建されています。

雷門から宝蔵門へと続く300m余りの参道が、仲見世通りです。

江戸時代の貞亨年間(1684〜7)参道の両側には12の支院が並んでいました。
参道の掃除をしていた近所の住民にその代償として、支院の前に出店を許可されたのが始まりだそうです。
現在は、両側に菓子・玩具・食品・小間物・衣類等のみやげ物を売る、朱塗りの鉄筋コンクリート造りの店が約90軒並んでいます。
私の楽しみは、いろんなお店でのつまみ食い(笑)
これだけでお腹いっぱいにならないよう、注意が必要です。

雷おこしや揚げまんじゅう、人形焼など、おいしいものばかりですが、
私のお気に入りはこれです!

<浅草きびだんご あづま>のきびだんご(5本 300円)
実演販売しているので、できたてが食べられます!

つまみ食いしつつ(笑)仲見世通りを抜けて浅草寺へ。
実は、ここ浅草寺は、東京都内最古のお寺なのです。
観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」とよばれ、広く親しまれています。

浅草寺の歴史はとても古く、飛鳥時代にまでさかのぼります。
628年檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)兄弟が、漁をしている途中で感得した
聖観音菩薩像を祀ったのが始まりとされています
その後、645年に勝海上人がこの地に観音堂を建て、この本尊を秘仏と定めました。
さらに、平安中期には慈覚大師円仁が中興開山となりました。
以来、浅草寺は多くの人々の信仰を集めてきました。

残念ながら、先の戦争で、本堂は焼失してしまい、現在見ることができるのは
昭和33年に再建された鉄筋コンクリートで作られた本堂です。
形態は焼失以前のものとほぼ同じです。

さて、一番最初に書きましたが、ここ浅草はその昔、浅草寺を中心とした大きな公園で、
一区から六区までに分かれていました。
そしてその中の六区は、明治時代の中頃から興行小屋が立ち並ぶ様になり、
東京の大衆娯楽の中心地となってきた場所です。
 

戦前は松竹劇場、常盤座、オペラ館などが立ち並び、
エノケン、ロッパ、田谷力三、シミキン、大江美智子らがその名を競いました。
戦後はフランス座にて、由利徹、渥美清、萩本欽一などが活躍、
昭和30年代のテレビ出現まで一世を風塵し、戦前の浅草と変らぬ景観をかもしだしていました。

しかし・・・
テレビの普及などで映画や大衆演劇の人気は衰え、次第に浅草の賑わいは、
六区から仲見世の方に移って行きました。
写真の大勝館の前身は、洋画専門に上映する、人気の映画館でした。

さて、お腹が空いたら(つまみ食いのことは忘れて(笑))
ここで、お昼ごはんはいかがでしょうか。

『旨すぎて申し訳ないス!』がキャッチコピーの<ヨシカミ>です。

ヨシカミ
 ●台東区浅草1−41−4
 ●11:45〜22:30(水休)


これぞ洋食屋さんのメニュー!というものがずらりと並んでます。
<お客様の目の前で調理を展開する>というお店の信条で、昭和26年の開店以来のオープンキッチンが特徴です。

一日限定50食!のハヤシライス(1,200円)が、一番人気です。
メニューに並んでいるステーキと同じ牛肉を使い、時間をかけて煮込んで作るデミグラスソースは、
ずっと継ぎ足しているものだそう。
トロリとした食感がとてもクリーミーな味わいです。

さて、なんだかここまでで、お腹いっぱい?(笑)な感じになった浅草巡り、
もちろん、他にもいろんな見どころがあります。

ご存知、<花やしき>
1949年に開園した、古き良き東京の遊園地です。レトロでかわいい雰囲気に、とても懐かしさを感じます。
名物「ローラーコースター」は民家の鼻先をかすめて走るのでスリル満点です。

浅草公会堂前には浅草にゆかりのあったスターの手形とサインが並べられています。
これは昭和54年に始まって年々追加され、現在では230人以上の有名人の手形が並んでいます。
芸能人のほか、作曲家や噺家など顔ぶれは多彩です。

桜並木が立ち並ぶ川沿いの隅田公園です。春は花見、夏は花火で盛り上ります。

浅草の新しいシンボル、吾妻橋脇にあるアサヒビールのビルディング。
左のアサヒビールタワー(本社)は、ジョッキに注がれた生ビール、
右のスーパードライホールは燃える魂の炎を意味しているということです。
吾妻橋からは水上バス乗り場があり、隅田川下りを楽しめます。


浅草、というと観光客の訪れるところという印象が強いですが、いえいえ、それだけではありません!
見て、食べて、楽しんで、ぎゅっと楽しみの詰まった街、そんな気がしました。


 

 
             


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